どうどうめぐり

語彙力はありませんが、言いたいことだけは無駄にあります。

V6とわたし〜自分語り選手権〜

昨日、V6のファミリクラブから家族写真が届きました。じんと心にくるメッセージと、家族写真のようなもの。のうしろには彼ららしい、こちらを笑顔にしてくれるモノクロの写真。

 

 

会員になったのは2015年の春だった。

入会を迷っていた中、20周年ツアーが始まると知り青色の振込用紙を持って郵便局に走ったことが昨日のことのようだ。

 

 

 

V6との出会いはいつなのかはわからない。

一番古い記憶にあるのは、学校へ行こう!だ。

小学生だった当時、クラスではみのりかリズム4が流行り、伊東家の食卓で得た裏ワザを家族で試していた。その頃に見たディズニー映画の中にはターザンがあったし、兄が好きだったウルトラマンティガのスパークレンスがおもちゃ箱にあったあの頃。

 

 

 

その後もなんとなく、彼らのことがうっすら好きだった。

たとえば朝の情報番組で見たHONEY BEATのMV完成というニュースは、今でも鮮明に覚えている。学校へ行く前の、朝食をとるほんの数分。楽しそうに学ランを着て受験生を応援する彼らの笑顔。

たとえばVivaVivaV6。眠い目を擦りながら、お風呂上がり、髪の毛を乾かしながら見ていた番組。なんか真ん中の人(イノッチ)ちょ〜〜〜〜〜喋るじゃ〜〜〜ん?

たとえばFNS歌謡祭でみたGUILTY。まだ小学生ながら、スーツで踊る大人を見てかっこいいと思った。

 

 

 

そんな感じでのらりくらりファンでもなく、無関心でもない時期を経て急激にハマる。

 

 

ラブセンだ。

 

 

当時のわたしはうっすら二次元のオタクであり、乙女ゲームに興味があった。そんな中あのV6が恋愛シュミレーションゲームになっていると知った。

 

その頃は井ノ原快彦本編がリリースされて間もなくだった。ふ〜〜〜〜ん…………結構ガチで恋愛できんじゃん……………と授業と授業の合間にスマホをこっそりと起動させお仕事をした当時高校3年生。受験生。

その後三宅健本編リリース、涙のアトが消える頃連動イベントと大型のイベントがあったがまだ円盤購入には至らず。テレビ披露だけは見てた。

 

 

そんな一連の流れを母が職場の同僚にしたところ、同僚が坂本担ということが判明し、コンサートの円盤を借りた。

 

そしてみたのだ。

V6 Live Tour  2013 Oh!My!Goodness!を。

 

そこからはゴロゴロというより直下で落ちてゆき、前述の母の同僚の教育もあり(DVDめっちゃ借りた)、ツアー開催発表のタイミングでFC入会。

 

 

代々木第一体育館で初めてV6を見たときの光景は今でも覚えている。そして、その後からはどんなときのV6も、覚えていくようになった。

 

 

それから今日に至るまで、生活の核に近い部分にV6がいた。

 

成人して初めて友達とお酒を飲んだときも。

友人の結婚や出産を聞いてお祝いしたときも。

 

新卒で就職した先でどうしても辛くて毎日帰り道に泣いていたときも。

心が病んでしまって、元気になれなかったときも。

 

 

いいときも悪いときも、傍にV6がいてくれた。

V6という存在が、わたしを支えてくれていた。

こんな大人になりたいと、あんなふうに歳を重ねたいと憧れになった。

 

2021年3月12日のことも、もちろんよく覚えている。

被災地の出身のため、あれから10年経ってしまった、わたしはなにかできただろうか?と思っていた日だった。

 

なにか予感がして、いつも就業時間には確認しないスマホをひらき、目に入ったメール。

受け入れられなかった。どうして?と困惑した。いつまでもわたしの傍にいてくれる、永遠の存在だと思っていた。これまでもそうだったように、いることが当たり前だと思っていた。

動画で語る彼らは、とてもファンに気を遣っているようだった。憶測に惑わされないで、自分たちを見ていてほしいと伝えたいようだった。これからのためと話す彼らの話を、理解できなかったわけではなかった。

 

それからは「前を向いて後悔のないように応援しよう!」と意気込んだり、「V6がいない時代を生きたことがない。生きていける?」と落ち込んだり。

ラストツアーも、行く直前の一週間は落ち込みまくっていた。コンサートの景色は覚えているが、自分がどんなことを思ったのか、正直もう覚えてない。

ただ、彼らはかっこよかった。憧れの大人だった。前を見る彼らは、素敵な人たちだ。

 

 

3月から、V6に愛されているなと感じること、瞬間がいくつもあった。

『愛されている』なんて、照れるし日常生活で言うタイミングなんて中々ないが、確かに愛と受け取った。どんなファンも、優しく包み込んで取りこぼさないように愛してくれる彼らを、また更に好きになるのだ。

 

 

 

まだ気持ちは決まっていない。

 

11月1日を、どんな風に過ごすのか、悲しさに打ちひしがれているのか、晴々しい気持ちで迎えるのか、想像ができない。

 

でもきっと、その日を終えても、彼らのことはずっと好きだろう。ずっと憧れの大人であるのだろう。たくさんの思い出と、音楽と、作品と一緒にまた生きていくのだろう。V6の歩み続けた26年という長い月日を、その日を折り返し地点としてまたこれから先26年かけて愛していけたらいいな、と思う。